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いやむしろわすれて草

2013年5月17日マチネ@青山円形劇場。汗ばむ陽気。宮益坂の勾配すらきつかった。


ちょうど自分の仙台出張と重ねられそうなタイミングで、わたしが大好きな脚本が舞台にかけられる。こういうのを人は「千載一遇のチャンス」と呼ぶのだろう。わたしがもっとも好きな劇作家・演出家の前田司郎氏のレパートリィのなかでも、もっとも好きな作品。ただ、それだけに劇団公演ではないこういうプロデュース公演で見るのはちょっと腰が引けたりする。主演の満島ひかりや伊藤歩が舞台でどれほどできるかは未知数だから。ただ、ワキに着くのが大山雄史、能島瑞穂、黒田大輔、志賀廣太郎という安定の前田ファミリィであると確認できた時点で、すぐさま自分にゴーサインが下りた。


青山円形なので、まあ席はどこでも良い席。ここはいつ以来だろう。たぶん、遊◎機械全自動シアターの最終公演「THE CLUB OF ALICE」以来。ブログを確認してみたらこれが2002年の10月だから、もう11年前になる。もう「遊◎機械」ってゆっても、わからない人がほとんどだろうな。そういう劇団があったのだ。ああいう小劇場全盛期の最後の残滓にきちんと触れられた自分は、いまとなっては幸せだったなあと思う。さて、そういうわけで、青山円形。お芝居やるにはいい箱に違いない。でもここも来年春には閉館。ル・テアトル銀座(元セゾン劇場)も閉館。映画はソフトとなって残るから、映画館がつぶれてもまだいいけど、演劇は記憶にしか残らないから、劇場がつぶれてしまうと本当に切ない。


さて。ふと、以前に書いたこの舞台についての感想文を検索してみると、それはちょうど8年前のエントリだった。


五反田団「むしろ忘れて草」(1)

五反田団「むしろ忘れて草」(2)


で、あらためてこれを読んでみたら、今回、あらためて書かなくてはいけないことは、ほとんど無いことに気づく。8年前のわたしは、この舞台を見て本当に感動して、その熱をできる限りロジックに置換しようとがんばっていたのだなあと、ちょっと感慨深い。いまの自分にはこんなに密度の濃い観劇レビュは書けないなあ。・・・と思うと、ちょっと切ない。まあそれは8年前といまの自分の状況がかなり変わっているからで、あの頃はまだこんなに暇がほとんど無いというようなこともなく、比較的たくさん芝居も観られていて、コンスタントに感想文も書けていたというのもあって。


さて、ことしのこの舞台について、あえて感想を付け加えるとすれば、やっぱり「主演陣が弱い」ということに尽きる。前田さんの脚本と演出はごく瞬間的に強烈な身体性を要求するのだけれど、それに応え切れていないために、なんとなく「フツウのホノボノとしたホームドラマ」っぽくなってしまっている。最初のシーンで挿入される姉妹ゲンカでぶつかり合う「四肢」や、最後のシーンのあの「声」が、言語化されない貴重で大切な「空っぽ」の触感を舞台に載せるのに、それができていない。だから、ヘンに「内容」や「メッセージ」があるっぽいお芝居になった気がする。初見時からこれは五反田団版の『若草物語』だと思っていたけど、ほんとに『若草物語』っぽいふつうの物語になってしまったような(いや『若草物語』自体は好きだし、名作だと思っている)。


ワキに入った前田ファミリィはみんなすばらしい演技だったし、長女役の菊池亜希子と四女役の福田麻由子はなかなか健闘していた。でも、やっぱり、三女が。


誤解を恐れずに告白すれば、この日のエンディングでもわたしは涙があふれて止まらなかった。それは青山円形劇場のこの舞台に感動したからでも、この名作の脚本がうまく再演されていないことに絶望したからでもなく、8年前に三女役を務めた端田新菜の鬼気迫る演技を網膜にリロードすることができたからだった。わたしがいままで見た舞台のなかでも、確実に3本の指に入る舞台。結局のところ、こうして新鮮なカタチで記憶を取り出すことができただけでも、わたしには過分なほど豪華なごほうびになったと思う。それにしても前田さんが青山でプロデュース公演をするようになるとは、あのころは思いもしなかった。めでたいなあ。


でも、やっぱり五反田団本公演を見たい。前田演出は、ナチュラルに見えてかなりクセのある性質がある。馴染みの演者を使わないと、いろいろむずかしい気がするから。


・・・8年前に、内容についてはいろいろ書き尽くしたので、ほんとに全部蛇足だなあ。でも、演劇について、何かを書くというのはやっぱり気持ちがいい。実は、この脚本は、わたしが今月の末に某H象B化論学会の全国大会で発表する内容と地下水脈的に絡んでいる。わたしがプレゼンしたいエッセンスは、まさにあの、ラストシーンに凝集されている。もちろん、扱う対象が国も時代もかけ離れているから、そのままではないけれど、エッセンスは、あの端田さんのあの「声」に全部詰まっている。内側も外側も「空っぽ」で「空っぽ」と「空っぽ」のあいだに響く、叫び。


凡百の作劇では到達しえない舞台表象の粋が、あれだったのだ。

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