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石のような水


2013年11月29日ソワレ@京都芸術劇場・春秋座。


脚本・松田正隆(マレビトの会)と演出・松本雄吉(維新派)の舞台。じつは2010年にも精華小劇場でこのコンビの舞台を見たことがある(blog di doca「イキシマ1」blog di doca「イキシマ2」)。


とある街の近くに隕石が落ちてできた大きな穴をめぐる物語。世界各国の調査団がその穴に入るものの誰も帰ってこないため、そこは「ゾーン」と呼ばれるタブーの場所となる。しかしその近くの高層アパート群には「ゾーン」への観光ツアーをなりわいとする男が住んでいる。ひそかに彼に依頼して「ゾーン」を目指す人は、何を求めるのか、うんぬん。・・・というのがプロット。


松田氏っぽい脚本。いままでも何度か書いてきたとおり、わたしは松田氏の書く脚本にはいつも大きな違和感を感じていた。あまり良い方ではない違和感。さして大きな射程を持っていない割に表面的には難解な記号を並べていて、高踏的な作風はその射程の短さのカモフラージュにしてるようにしか感じられなかったから。けれども維新派の松本氏なら今度こそ脚本のポテンシャル以上の舞台にしてくれるのではと祈りつつ、開演を待つ。


春秋座の大きな舞台に幾何学的で不規則な段差がつけられた舞台は、アパートの階段になったり室内になったりバス通りになったり融通を利かせた抽象的な空間。セリフはいわゆる日常的なしゃべりよりも大きく張った舞台っぽい声。松本氏っぽい構造的な空間操作が、松田氏の3.11以降の世界を取捨した有り体な世界観を、強靱に再構成する。照明は「イキシマ」のときほどイレギュラではないもののあいかわらず美しく、舞台の奥行きと段差を活かしたパースペクティヴの見せ方も、余裕を感じさせるほどに馴染んで定着。フォーマリスト松本氏の面目躍如といったところ。


ただ、やはり脚本のビハインドは大きいと思う。3.11以降、ホットスポット的な道具立てを物語に持ち込み、「あちら側」と「こちら側」と「そのあいだ」を3極にメロドラマを展開するその手法は、もはや何も新しくない。もちろん、新しさだけが価値ではないにせよ、新しさ以外で勝負をかけるならそれなりの段取りをふまなければいけない。たとえば、ポップさでも笑いでもホスピタリティでもいいのだけれど、そういった橋がかりをすべて外したところで肩肘の張ったでんぐり返りを続けられても困ってしまうというか。


松本氏のフォーマリスティック的な演出と松田氏の意味深っぽいストーリィの乖離感が、観客に向けてそれなりの効果を上げているのはたしか。でも、それは劇場特有の夢幻っぽい心地よさではあっても、脚本の鈍い自己満足感が引っかかってあまり浮力を持つものではない。それなら、たとえば2004年の松田正隆脚本・平田オリザ演出の「天の煙」(blog di doca「天の煙」blog di doca「天の煙」追記)や同じコンビで2000年に上演した「月の岬」みたいに、突き詰めて写実的な演出で逃げ道を断って上演したほうが、まだ清々しかった気がする。観客はプルトニウムのように重たい印象を押し付けられることになるけれど。


「過去」に囚われる存在と「未来」に惹かれる存在のあいだの「現在」という、象徴的な時間のあり方を登場人物の姿に託し、それを「あちら側」と「こちら側」と「そのあいだ」という象徴的な空間の設定に重ねるところとか、いろいろ脚本にも評価できるところは少なくない。でも、その程度のプロットは、もはやさして有効なインパクトを発揮し得ないとわたしは思う。意義深い価値としての「しきい」と、どっちつかずの半端な「あいだ」は、質的に差がない。演劇界の文学的リアリティへのコンプレックスが「隠蔽」を経て表出したのが、この残念さに結晶したのではないかしらん。


役者の多くはオーディションで選ばれたらしい。あまり上手なひとはいない。この日が特にそうだったのか、セリフをかむ人も多かった。ただ主役の山中崇は良い役者だと思った。この人はかみまくりだったけど、でもこの人のセリフだけが、松本的形式と松田的内容のあいだをつなぐ橋がかりのように響いた。けっきょく、役者の特権的身体に頼るレベルに留まっているということになるだろう。この特権的身体は、チェルフィッチュや地点のようなアップデートされた身体ではなく、蜷川的な意味でのそれのこと。


つまり、そのフェーズにとどまる舞台だったとわたしは思う。


ダコーザ・ナッシェ・コーザ。

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